アメリカ移住・グリーンカード|日本人であることを目一杯利用する!

🇺🇸私はこうやって永住権を取得しました!その2

永住権の取得に関して私の実体験を述べていますが、その続きです。私がどれだけ永住権を取得するために苦労したかを分かっていただきたいと思います。人それぞれ申請のやり方は変わってきますが、みんなそこには壮絶なストーリーがあるのです。

大学院を卒業し、研修ビザが終わるとそのあとはもう何もビザがないことになってしまいます。何かのビザを取るための申請をするか、ビザなしになって隠れてアメリカに居座るかということになるわけです。当然不法滞在の方を選ぶとのちのち大変なことになります。我々は難民申請ができるような環境にはないので、何に申請をするかを考える必要がありました。

写真業界というとても不安定な、個人で行動するような業種でしたので非常に苦労しました。アメリカの大きな会社がバックになってくれるというわけではありません。力のない一個人が申請となるとそれなりの作戦が必要になります。弁護士の先生を見つけ、戦略を練ったのです。

⭐アメリカ人の職場を奪わない人間でなくてはならない!

というのが永住権申請の基本ルールです。他のアメリカ人でできる仕事であれば、日本人である私よりもそのアメリカ人を雇わなくてはいけないということです。このハードルは結構高いです。もちろん、先日も述べたように、全てのケースが同じではありません。違ったケースとして判断されます。バックアップになってくれる会社の力量によっても違いがあるでしょう。誰の推薦があるかによっても変わってきます。この推薦というのが結構重みを持っていますね。アメリカでは。

私の感じたところでは、ルールはルールだけれども状況に応じて判断の基準が変わるということです。

私の場合はどこにでもいる写真家の卵でしたので状況は厳しかったということです。写真家の卵などこのニューヨークではゴロゴロいます。普通に申請しても永住権を取れる確率はありませんでした。

⭐ビザの内容、条件は変化する!

このことを、頭に入れておいてください。私が申請した時と、みなさんが申請しようかと考える時とでは何かが変わっていると思います。時代のニーズや様々な要素によって変化していきます。十分に移民専門の弁護士と話し合うことが大事ですね。

先ほども言ったように、私の場合はアメリカで力のある大きな会社がバックアップしてくれるという環境にはなかったので特殊な戦略を立てる意外にありませんでした。アメリカの写真家は基本フリーランスというのが現状でした。私がすでに写真家として確立しているとすると、名のあるエージェントに属し、そのエージェントをバックにしての申請というのは可能だったと思います。しかし、これも私は無名ですし、その手法を使うことは不可能でした。アメリカの著名なアーチストやスポーツ選手などは結構エージェントに属している場合が多いと思います。

そこで考案した手法はこういうものでした!

🇺🇸作戦は、、日本人であるというメリットを最大限に利用すること!

そうなんです! アメリカ人と張り合うことは何のメリットも生みません。それよりも普通のアメリカ人にない条件で責めるという戦略を取ることにしました。

私の場合は、その職種に関して新聞広告を出すことが求められていました。実際に広告を出して、もし普通のアメリカ人が募集してくればダメということになります。絶対に普通のアメリカ人が応募できないような条件を考える必要がありました。

シナリオとしては、、日本のファッションメーカーのニューヨークにおけるファッションコーディネーターという肩書きでした。ニューヨークにおいて、日本のメーカーにファッションのリサーチや、企画などを提供するというのが仕事の内容です。この設定によって、まず日本語と英語が堪能であるという条件を提示することができます。この条件を加えることだけでほとんどのアメリカ人は諦めるでしょう。

さらに、ファッション業界に精通していること、そしてさらに、プロ級の写真技術に精通していること、というのを加えました。これで完璧ですね。作戦としては上出来だったと思います。

でも、作戦だけでは解決しません。これを現実化することが必要です!

私は急遽日本に一時帰国し、母の知り合いのファッションメーカーに直談判に行きました。あの時は燃えていたんですね、、、。青春です! 永住権の申請には実際に給料をもらっているという照明も出さなくてはいけなかったので、必死で交渉しました。私は細かいファッションのリサーチはできないので、ニューヨークで知った二人の日本人デザイナーに協力をしてもらい毎月報告書を日本に提出するという契約を取り付けました。ニューヨークのいくつかのデパートの市場調査や、ストリートでの流行などの最新のトレンドを報告するものだったのですが。今から考えると相当内容的に充実したものであったと思います。写真やデザイン画を数十ページにわたって展開しました。今のようにネットがまだまだ浸透していない時代ですので、日本の会社にとってはかなり有意義な資料だったでしょう。給料は当然三人で分割しました。

こういう会社を確保することはこのプロジェクトの核心的な部分だったので、私も必死でした。アメリカの、現地の会社のバックがない一個人での申請となるとこのように綿密な計画、作戦が必要になります。

日本ではその他、警察署から犯罪の履歴がないかどうかの証明書なども取ったように思います。

これでやっと準備は整いました。

この段階まで来るのに、大変苦労したように思います。これらの作業を大学院卒業から与えられる一定期間の労働許可のある間にやったわけです。この後はいよいよニューヨークの新聞にこの件に関する求人広告を出す段階となります。いよいよ正念場です!

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