意外なアドバイスが聞けるかも?
⭐️2020年はとんでもない年になってしまいましたね。
コロナのせいでこの世はとんでもない方向に進んでいる様な気がします。
今までの常識が通用しない世界に突入しようとしているのでしょうか。不安だらけの世界になってしまいましたね。
自分の将来について心底悩んでいる方も多いと思います。
そういう方のためと言ったら大げさですが、特異な人生を歩んできた私だからこそ言えることも多いと思います。
知りたいことがあれば、お助けできるかもしれません。
そう思ってこのブログを開設しようと思いました。
ハチャメチャな私の人生
⭐️また追って私の経歴について詳しく述べますが、今日は初めということもあり、簡略して述べようと思います。
私はB型、自分の思ったことはとことん突き進む体質です。
でも、世の中に出れば大きな歯車の1つになるよりは、小さな歯車の1つになりたいと思うような子供でした。
年齢はご想像にお任せしますが、二人の娘は大学を卒業し社会人になりました。
⭐️私はいわゆる帰国子女で、小学校時代をイギリスのロンドンで過ごしました。
そこで、ハリーポッターの様な制服を着て、髪の毛を綺麗に7:3に分けて学校に行っていたのです。
そこで英語を習得し、普通のイギリスの子供の様に生活していたわけです。
そのせいでしょうか、私には外国や語学に対する恐怖心などはその後の人生でもなかったわけです。
大人になってからはアメリカやカナダでの生活が長かったのですが、今でも私の発音にはイギリス流のアクセントがあると言われます。
⭐️イギリスから帰国後私は日本の公立の学校に入りますが、学校になじめず登校拒否になる始末。
頭の中には常にロンドンでの生活があったのです。外国に行きたい、、、いつもそう思っていました。
日本の受験に苦労し、一浪の末大学生になりました。卒業したら絶対にアメリカに行くと当時は思っていました。
その一念で、大学は頑張って某大学の建築学部を首席で卒業しました。
⭐️大学卒業後、アメリカのアイビーリーグのコーネル大学の大学院に進み M.Arch の学位を取得しました。この大学の建築学部は全米でトップ3に入る名門です。
ところが、私の興味はどういうわけか昔から好きだった写真の世界に向いていました。なぜか建築から離れたいと思っていたのです。建築の世界は私には硬すぎたのです。
卒業後、車で大陸横断の末、ロスのアートセンターにインテリアの勉強のために入学したのですが、そこでの写真学部の様子に触発されニューヨークに帰ってくる羽目になりました。
⭐️またまた大陸横断の末、マンハッタンの道端に車を止め、電話帳から写真のスタジオに電話をして仕事を探すところから始まったのです。
ビザの関係上、ニューヨークの Pratt Institute の大学院に在籍し、昼はスタジオ、夜は大学という生活を送ったのです。
⭐️その3年後にニューヨークの五番街にスタジオを設立し、写真家としてスタートしました。
その後、イタリア、フランス、ベルギー、日本に住み、アメリカ・カナダで永住権を取得しました。
最終的にカナダのトロントに落ち着き、家族を持ち子供を育てたという感じです。
写真業界や移住・留学に関しては知識豊富です
⭐️自分で言うのもなんですが、世界の写真業界や移住、そしてアメリカの大学について私ほど知っている人間はいないと思います。
写真のことを知りたい方、モデルとかヘア・メイクアップアーチストになりたい方、外国に住んでみたい方、留学に興味のある方、青春に悩みのある方、自分の目標が定まらない方、ご連絡いただければ、いい助言ができると思います。
⭐️是非ご連絡ください!
みんなで frontier(未開拓の領域)を見つけましょう!