🇺🇸いよいよ待ちに待った新聞広告です!
実体験に基づいたアメリカ永住権の取得の経過を述べていますが。今回はいよいよ新聞広告についてです。以前にも何回も述べていますが、申請の仕方は各個人によって全て変わってくると思います。そのことをお忘れなく!!
以前にも述べましたが、私の申請の場合この新聞広告が決定的な意味を持っていました。確か新聞は NEW YORK TIMES だったと思いますが、求人欄に掲載するわけです。一人でもこの求人に応募してくるアメリカ人がいればこの計画は失敗ということになります。まさに私の将来をかけた新聞掲載ということになります。
⭐新聞に掲載した内容の概略はこのようになります。
✳日本の大手ファッションメーカーがニューヨークでのファッションコーディネーターを募集する!
◯仕事内容はニューヨークにおけるファッションのリサーチ及びデザイン提案。いち早く流行を掴み取り、日本に毎月資料としてまとめ送付する。
◆応募における条件は下記のものとする。
◯日本語と英語に堪能であること。これは会話のみならず、読み書きも含む。
◯ニューヨークのファッション業界に精通していること。
◯プロ級の写真技術を持っていること。
上記の内容が主な内容だったと思います。とにかくできるだけハードルを高くし、誰一人として応募してこないことを願ったわけです。日本語が読み書きを含め堪能でなくてはならないという条件で、おそらくほとんどのアメリカ人は諦めるでしょう。ただ、日本で育ったアメリカ人もいるわけですし、そういう人間がいないわけではありません。全米の人間はニューヨークの新聞の求人欄を見る可能性があります。当時、有名新聞の求人欄は一番利用されていた仕事探しの手段だったと思います。
そこで、二番目の条件でニューヨークに限定すること、そしてさらにファッション業界の人間に限るということ。さらにトドメとして、写真などの技術に精通していることという条件を加えたわけです。確か、有名大学のデザインやアートの学位が必要などということも書いてあったように思えます。
正直な所、このような条件を全て満たすアメリカ人が現れるとは思いませんでしたが、気が気ではありませんでした。新聞に掲載されるのは確か1週間ほどだったと思います。待っている時のあの不安な気持ちは一生忘れることができませんね。
🙌1週間後に弁護士から連絡がありました。誰一人として応募はなかったということでした! 万歳ですね、あの時の嬉しさは今でも忘れることができません。
🇺🇸申請をする時点で永住権が取れるか否かというのはだいたい分かります!
と言うことになります。つまり永住権に申請をするということは、自分の所在も全て当局に知らせることとなるわけで、失敗が許されないということです。却下されれば、この国を出なくてはならないからです。条件が整わなければ申請すらできないということです。
私の場合は全ての書類がこれで揃ったわけです。新聞広告の詳細な結果報告も当然入ったわけです。私の知っている仕事仲間の実力者から幾つもの推薦状ももらいました。みんなニューヨークの第一線で活躍している雑誌の編集長やデザイナーでした。これらの推薦状は相当重みがあったと思います。アメリカはこういう推薦状を非常に高く評価します。
それから程なくして、申請の書類を提出しました。まずこれで、おそらく大丈夫だろうというのが弁護士の意見でした。結果が出るまで一年から1年半だと言われました。
ただ、一旦申請をすると結果が出るまでアメリカに滞在することが許されていました。
よって、私は変わらぬ生活をしていたわけです。しばらくして、私はニューヨークの五番街の19丁目にスタジオをオープンしました。待つことは不安がありましたが、可能性がなければおそらく申請にこぎつけていないわけですし、粛々と毎日を送っていたという感じでした。申請のために、書類を揃えるために、乗り越えてきた苦労の方がずっと大きかったように思います。
⭐それから一年ちょっと経ってからでしょうか、私は神戸のアメリカ領事館での宣誓式に出席するように通達を受けました。ここまでくれば、まず大丈夫です。不思議なもので最終的なこの行事はその人に国で行われるのです。今でもはっきりとあの時のことは覚えています。右手を上げて、アメリカに忠誠を尽くす旨の宣誓をしました。感動的な瞬間でしたね。
⚡これでなんでも自由にできる!
これが最初に思ったことですね、、、、何年も苦労した末の結果でした。あとは、宣誓式の時に渡された資料を全て持ってアメリカに再入国したわけです。空港の入国審査のところで全ての書類を渡しました。その中には私の大きなレントゲンの写真も含まれていました。簡易の永住権証明書のようなものをもらい入国したわけです。永住権のカード、すなわちグリーンカードはそれから程なくして送られてきました。これでついに完了です。
🇺🇸申請をしている間は国外に出られない!
私が申請した時はこういう条件がありました。一旦申請をすると結果が出るまでアメリカを出られないということでした。
ここで1つだけ私にとっては悔やんでも悔やみきれないある出来事があったのです。父が急に癌になったのです。母の取り乱した声が今でも忘れられません。手術を受け、そのあと母と二人でニューヨークに遊びに来てくれました。痩せた父を見るのは初めてでした。ニューヨークのケネディ空港での見送りが父を見た最後となってしまいました。
父は日本に帰国後程なくして癌を再発し、あっという間に亡くなってしまいました。私は永住権に申請中ということで国外に出ることができず、病院や葬式にも参加することができませんでした。悔やんでも悔やみきれない出来事でしたが、あの時は国外に出ることを選択することはできませんでした。でも唯一後悔する点ですね。