一生に一番大事な日|大学受験の日に激烈「うんこ」騒動!その1!

数ある「うんこ」エピソードの中からまずは強烈なやつを!

私の受験時代を思い起こしてみると、それはまさに生き地獄のような毎日でした。

正式には過敏性大腸炎とか過敏性腸症候群とか言われます。毎日のように襲ってくる想像を絶する下痢の症状。少し緊張するだけで嫌な予感が、、。「うんこ」に支配された自分の人生。

どんなに悩んでも見つからない解決策。どの医者に行ってもどこも悪くないと言われる始末。なぜどこもおかしくないんだ! なぜ自分だけこんなにおかしいんだ! こんなにおかしいのになぜどこも悪くないと言われるのだろうと自問自答する毎日。これが私の悲しき青春時代の日々だったのです。

その中でも強烈な思い出として残っているエピソードを一つ。

私はこの持病のため高校三年生の時には必要出席日数の三分の一を休みました。ギリギリのところで卒業を認めてもらったという感じです。カトリック系の六年一貫教育の学校だったので、神父さんたちからは完全に見放されて不良のように思われていました。

特に2学期の後半から3学期にかけてはほとんど学校にはいきませんでした。下痢になるからとも言えず、私はただただ耐えるのみ。たまに学校に行っても宿題もテストもしていないような生徒だったのです。卒業できたのも不思議といえば不思議です。お前はややこしいから早く出て行ってくれ、、という感じでしょうか。

成績も当然ほとんど最下位に位置している始末。この高校は神戸で超有名な中高一貫の私立だったのですが、おそらく私の卒業時の成績は卒業生徒135人中132番ぐらいだったと思います。テストも受けていないのですから当然といえば当然。これでも中学生の頃は学年で3番には入っていた秀才でした。この凋落ぶりは何でしょうか。全て「うんこ」のせいです。

受験の日の早朝に人生最大の試練が!

当然のこと、受験できるような学校もありませんでした。受験勉強もほとんどしていない現状。

当時私の希望は建築家になることでした。いろいろ考えた結果私に最適の大学を見つけたのですが、それは芸大の建築科でした。なぜか昔からアートの成績だけは群を抜いていたのです。 芸大の受験内容はほとんどの学科が実技に重点を置いていたのですが、この学科だけはまず筆記試験で600数十人から60人まで絞られるわけです。いくら受験勉強ができていない人間だとしても、ここの学科試験はとても簡単だったのです。

私が受けた時は、合格は20人もいなかったと思います。そこに600人以上が受けるわけですから、その競争率は尋常ではないです。ここしか受けなかったわけですから、私の緊張度はMAXに達していました。

前日に東京入りし、上野の池の端のホテルにチェックインしました。なんせ緊張をすれば次に何が襲ってくるか重々承知のこの受験生です。夜になって寝ようとした時、私は普通では考えられない行動に出ました。

私は寝る前に浣腸を6つほどしたのです。あるものは全て出しておかないと、試験中にトイレに行ったらもうおしまい。人生逆転の瞬間に間違いがあってはならない、、、。とまあ、、浅はかなものです。寝る前にトイレで必死に頑張ったわけです。

とどうでしょうか、夜中の2時か3時だったと思います。おなかが強烈に痛くなったのです。今まで経験したことのない強烈な痛み。うめき声をあげ、のたうちまわる自分。一緒に来ていた母はびっくりしてウロウロするばかり。

ますます強烈になる痛みに私は意識も朦朧としてきました。危険を感じた私は母に救急車を呼ぶように行ったのです。間も無くして救急車が到着し、どこかの診療所に連れて行かれました。病院ではなく街の医者でした。

こんな夜中でもやってたんですね、ここは。決して綺麗とは言えない古びた医院だったのを覚えています。医者と看護婦がいたのですが、どこかおかしな雰囲気でした。今だから言えますが、この二人は半分寝てましたね。

症状を聞くので伝えると、先生は返事をしないで目がつぶっていました。なんじゃ、、こいつら、、というのが正直なところ。何回か言葉のやり取りをした後、医者の見立ては盲腸だというのです。とりあえず、痛み止めの注射を売ってくれました。しばらくすると、やっとの事で痛みが引いていったのを覚えています。1時間ほどすると全く痛みが消えたのを覚えています。

明日の試験の後、大至急で手術を受けなさいというのが医者の見立てでした。

母曰く、「これは乗りきらなあかん!」「こんなことで負けたらあかん!」母はそう言って私を鼓舞しました。私も「負けてたまるか!」という感じです。

ホテルへの帰り道はなんかうっすらと明るくなってきていたような気がしました。

結局のところ、私は人生で一番大事な受験にほとんど一睡もしないで立ち向かう羽目になったのです。

激痛の原因はまず間違いなく6つの浣腸!

当時は私も18歳、まだまだ大人とは呼べる体ではなかったわけですが、あのホテルでの痛みは今でも忘れることはできません。あの痛みは尋常ではありませんでした。ただただベッドの上でのたうち回る自分がそこにはありました。

自分で初めて、あの若さで死を意識するほどの痛さでした。もうこのままあの世に行ってしまうのかと思ったのです。危険を感じた私は大衆急救急車を呼ぶように母に頼んだわけです。

激痛の原因が寝る前にトイレでした6つの浣腸であることはまず間違いのないことだと思います。恥ずかしながら幼少の時からしょっちゅう浣腸を持ち歩いていたような人生を送っていた私です。普通の人生を送っていた人間であればこのようなバカなことはするはずもないのですが、それほど私はこの受験にかけていたのです。

受験勉強も自分の体質のためにろくにできず、高校三年生では必要出席日数の三分の一も学校に行けなかったこの私です。受験できるとこはここしかなかったと思っていたのです。

変なプライドが私にはあったのです。私の父も兄も一橋大学、親戚には東大出がゴロゴロの家庭環境だったので、名もない大学を受けることは頭になかったのです。積もり積もったプレッシャーとストレスは最高潮に達していたと言っていいでしょう。毎日の授業の小テストでも爆発していた私のお腹は悲鳴をあげていたに違いありません。今まで味わったことのない緊張が私を襲っていたのです。

そこに浣腸6つです。笑い話のようですが、、一度に6つの浣腸です。私の頭には明日の試験中にトイレに行かないように全てを出しておくんだという切羽詰まった気持ちしかありませんでした。6つの浣腸がどのような結果をもたらすなど考える余地もありませんでした。

間違いなく6つの浣腸によって私の腸はけいれんを起こしたのだと思います。それ以外には考えられません。この世で一気に浣腸を6つもした人間など私以外にいないのでないでしょうか。

予想外の世界記録を達成していたかもしれません。私のうんこまみれの人生の中でもハイライトと言える出来事だったのかもしれません。

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