一生に一番大事な日|大学受験の日に激烈「うんこ」騒動!その2!

受験日は早朝に救急車・午後に手術台

先日私の大学受験の早朝のドタバタ劇を書きましたが、この話はまだまだ続きます。

受験日の朝

幸い痛み止めの注射は効果を発揮しあの強烈な痛みはどこかへ行ってしまいました。ホテルに帰るとあたりはもうかなり明るくなっていました。少しの仮眠だけで私は人生初めての大学受験に向かったのです。

コンディションは最悪、ほとんど寝ていないので意識はぼーっとしていましたが、やるしかないという意識が勝っていましたね。自分のアドレナリンがムンムンしていたのを覚えています。

天下の東京芸術大学です。ほとんど全ての受験生は実に個性的な格好をしていました。結構みんなラフですが、なんとなく決まっています。男の子たちもかっこよかったですし、女子たちもみんな可愛く見えました。

これはまず間違いないと思うのですが、全ての受験生の中で私だけ濃紺の学生服に坊主・帽子といういでたちでした。 自分が強烈に浮いていたのを覚えています。私の高校の学生服は旧海軍兵学校の制服にとても似ていたのです。

一人受験生たちの中で立っていると、周りの長髪の男の子から「お前かっこいいな!」と言われました。みんなの視線が私に集中します。「やめてくれよ!」って感じでしたね。どうせどこかの田舎から出てきた田舎者ぐらいに思っていたんでしょう。あの時のみんなの視線は今でも忘れることができません。

お昼休み

幸いなことに午前のテストの間私のおなかは静かにしていてくれました。当たり前ですね、私のおなかには何も残っていなかったと思います。昨夜はこのためにどれだけ苦しんだことでしょう。これぐらいいいことがあってもいいやん、、。って感じでしたね。

頭はボーとしていましたが、私の頭の中は「頼むから爆発せんといて!」という思いでいっぱいでしたね。食べれば何が起こるか分からないので、昼もほとんど食べなかったのを覚えています。試験の心配よりおなかの心配の方が大きいのは私のいつもの人生です。

試験終了!

午後の試験もなんとか無事に終えることができました。  不思議なものですね。結果的には浣腸は正解だったということなのでしょうか。

高校のクラスの試験などでも必ずと言っていいほど試験中に爆発していたこのわたくしのおなか。試験中も不思議なほど静かで、爆発することはなかったのです。あれほど苦しんで腸を空っぽにしたわけですからね、寝不足で挑んだ試験ですが、以外と元気で、おなかが爆発しなかったのは本当に良かったと思っています。頭も驚くほどすっきりしていました。

これからがまたまた大変だったのです。試験が終わって外に出てみると、母が笑顔で迎えてくれました。開口一番「今から病院に行くから!」

私は「えー!」と思いましたが、思い起こせば昨夜の救急病院で「盲腸」の判決を言い渡されていた私です。行くことになるとは思っていましたが、こんなに急に行く羽目になるとは思ってもいませんでした。母が急遽病院の手配をして即手術ということになっていたのです。

タクシーで連れて行かれた所は某有名病院でした。着くや否や私は大至急手術用のベッドようなものに乗せられて手術室に向かったのです。いくつもの明かりが周囲を囲み、何人ものスタッフが私を囲んで臨戦態勢に入っていました。テレビで見るような景色です。

担当医がメスを取ってまさに取り掛からんとした時、、、医者は私の患部のあたりを触り始めたのです。何回もやってみたのですが、私には痛みが感じられないのです。「ここ痛いですか?」何度も医者は私に訪ねましたが、なんの痛みもないのです。

「うー、、、おかしい!」医者はこんな感じでしたね。しばらくして、スタッフ何人かとヒソヒソ話。そのあとスタッフは静かに離れていったのです。私は特に何も告げられず控え室の方に移動させられました。そこでベッドから降ろされ母と一緒に状況の説明を受けたのです。

説明によると、おそらく盲腸ではないだろうとのこと。結果的に打ってもらった痛み止めの注射で一巻の終わりということなんでしょうか。 様子見ということになったように覚えています。

私はまさに激動の1日を過ごしたということになります。 寝る前に浣腸6つ、夜中に激痛で救急車で搬送され、大学受験をし、最後に大病院で手術室に入れられ、まさに盛りだくさんの1日でした。

おなかがこんなんでなかったら経験することはなかったであろうことをなぜこんなにたくさん経験しなくてはならないのか、これは私にとって永遠の課題ですね。これがなっかたらどれほど人生が簡単なものになっていたかと推測することも多々ありました。

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