カメラマンになるには10|苦節2年ニューヨーク五番街にスタジオ設立

五番街にスタジオ設立!

⭐️フリーでアシスタントをしながら、大学院の授業にも出席し、住居が定まらないという悪条件の中私は一歩一歩目的に向かって進んでいました。

とにかくお金ができたら数本のフィルムでもいいから自分の作品のために撮影をするというのが私の毎日でした。夕ご飯も実に質素。macが夕ご飯に食べれればいい方でした。

金銭的にどうにもこうにもならなくなり、1年ほどするとある広告代理店のハウスフォトグラファーとして働くことになりました。あの現状では仕方がなかったでしょう。給料は微々たるものでしたが、毎週お金がもらえるという安堵感がその時にはどうしても必要でした。

月曜から金曜まで日中はそこで働き、他のこともやっていたわけです。極貧でしたが、実に充実した毎日でした。

⭐️私の作品集が整い始めた時、私はPrattの大学院を卒業しトレイニングビザというのを取得しました。これは学位に関連した業種で1年間働けるというビザです。このビザが切れるまでに労働許可を取るしかありません。

この時に私はいろいろと考えました。このままスタジオもなくアシスタントをしていて果たして独立できるのだろうかと。当時スタジオを持つということは大きな意味を持っていました。スタジオがあるということはその写真家の権威の位置付けにもなります。打ち合わせがあったり、撮影のための様々な商品を送れる環境があるからです。スタジオがなければそういうわけにはいきません。

⭐️そこで私は考えました。本意ではありませんでしたが、実家に頼んでスタジオ設立のお金を借りることにしたのです。大きな決断でしたが、あの時点ではベストなチョイスだったと思います。当然すぐにお金を儲けないと維持できないことは明白です。一か八かと言われればそういうことですね。

数々の物件を物色しました。そこで見つけたのがなんと五番街の19丁目の物件です。眼下に五番街が見えます。住所は五番街なので最高です。建物は重厚で立派の一言。こんな物件が見つけられたのはラッキーの一言でした。

お金がないので、何もなかった空間を一人で改造し純白の見違えるようなスタジオに作り上げたのです。1ヶ月半ほどかかったでしょうか。感無量でしたね。

あの時の情熱とエネルギーはある意味私の青春の全てだったかもしれません。ただただ親に感謝するばかりでした。ニューヨークに来て2年あまり、かなり無謀とも言える挑戦がそこから始まったのです。夢と期待とそして膨大な不安が錯綜するような毎日だったのを覚えています。これが挑戦ということなんですね。

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